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2007年06月14日

第9代大統領はシモン・ペレス

2007年6月13日(水)17時のニュース

大統領に選ばれたシモン・ペレス氏は、分け隔てることなく、ユダヤ人とアラブ人、右派と左派など国民全員の大統領になることを公約した。同氏は「大統領官邸は、全世界のユダヤ人や、アラブ系イスラエル人を含む全ての少数派の家となるだろう」と強調。また、大統領選の結果発表後初の演説で「ダリヤ・イツィクが大統領に宣誓してくれるとは夢にも思わなかった」と指摘。さらに冗談で「ソニヤ(ペレスの妻)なら1次予選で勝てていただろう」と語った。

シモン・ペレス氏は、自分の勝利に貢献したとしてオルメルト首相に感謝した他、ビンヤミン・ネタニヤフ野党党首や、1次予選の後、候補を辞退した、レウベン・リブリン議員とコレト・アビタル議員にも感謝の意を示した。

シモン・ペレス氏は演説で、師であるダビド・ベングリオン、友人でありパートナーでもあったイツハク・ラビンと友人アリエル・シャロンの名を挙げた。また、拉致兵士3人の帰還に全力を尽くすと公約した。


シモン・ペレス氏は、1923年10月、ポーランドのヴィシェニェフで誕生。11歳で家族と共にイスラエルに移住。テルアビブと、ベンシェメンにある農業学校で学んだ。イスラエル建国の1年前にハガナに徴用され、隊員募集と武器購入の担当者となった。独立戦争後、国防省より、米国に派遣。30歳で国防省長官となった。

1959年から継続的に国会議員として務める。59年より、移民同化相、交通相、通信相、広報相などを歴任。77年の政権交代より8年間、野党党首に就任。84年より2年間、挙国一致政権で首相を務め、その後も財務相や外相を歴任。94年に、故イツハク・ラビン首相とパレスチナ自治政府のヤセル・アラファト議長と共にノーベル平和賞を受賞。ラビン首相暗殺後は、ビンヤミン・ネタニヤフ首相の選出まで暫定首相を務めた。

ペレス氏は3人の子供がおり、今日大統領に選ばれた。


【解説】

シモン・ペレス元首相が、第9代大統領に選ばれました。これまで、何度も何度も、ことごとく選挙で負けてきたペレスにとっては感動の一時だったと思います。ペレスの敗北歴は77年の総選挙でベギンに敗北したことから始まり(労働党が負けたのはこのときが初めて)、96年の総選挙では若手(当時)のネタニヤフにまさかの敗北。2000年では「負けるはずがない」と言われていた大統領選で、シャスの裏切りを受け、カツァブに敗北。2005年の労働党党首選も「軽く勝てる」といわれていたものの、ペレツに敗北。この間にも、総選挙でシャミールに敗れている。

首相になれたのは、引き分けを受け、ローテーションで首相のポストが順送りになった84年と、ラビン首相暗殺を受け、暫定首相になった95年の2回。結局、ハッキリと勝ちといえる勝ちは一度もありませんでした。しかし、世論調査には強く、まける前にはいつも、世論調査で勝っていました。そのため、今回も最後の最後まで、信じられなかったようです。

ペレスにとってはこの上ない、勝利だった事でしょう。


10月で84歳になるペレスが任期を終えるのは91歳と気になる歳ですが、任期をまっとうできることを願います。

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イスラエル一ベテラン政治家のペレスは48年国会議員を務め、首相、外相、国防相などありとあらゆる役職を経験しました。大統領になったペレスに「お疲れ様」という人たちもいるでしょうが、本人は「大統領はこれまでの役職の延長線」と語っています。今でも毎朝の体操は欠かせないらしく、気力は政治家の中でもぴか一でしょう。

そんなペレスを影から支えたのがソニヤ婦人。彼女は「私が結婚したのは政治家じゃなくて、農夫だから」といって、めったに表に出ることがありません。ペレスはそんな彼女のことを「素晴らしい女性でありながら、決しておごることがなく、いつも献身的にサポートしてくれた」と語っています。ステキな夫婦ですね。

投稿者 moshe : 2007年06月14日 07:31

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