2007年05月01日
ヴィノグラード調査委員会、中間報告書を提出
2007年4月30 日(月)19時のニュース
第2次レバノン戦争を調査しているヴィノグラード委員会は主な責任はオルメルト首相、ペレツ国防相とハルーツ前参謀総長にある、との結論を公表した。今日の中間報告書で同委員会は「3人には、開戦時に下された重大な欠陥を多く含む決断に、大きく関与していた」と指摘。同委員会の中間報告書は「オルメルト首相は、考慮、責任と注意力が必要とされる局面で重大な過失を犯した」と指摘。さらに「首相は事前に熟考せず、レバノンにおける戦闘の複雑さを十分に考慮せず、十分に詳細な軍事計画のないまま、またそうした計画を求めることなく決断を下した」と強調。「オルメルトは、軍事的政治的な第三者と正規の協議を持つことなく行動した」とした。
ヴィノグラード調査委員会はアミール・ペレツについて「国防相には職務上の過失がある。戦時中の行動は、内閣の機能を困難なものとした」と断定した。同委員会は「国防相は、政治的、軍事的な経験や閣僚としての経験が無く、政治手段としての軍事力の使い方を知らないにもかかわらず、経験豊富なプロと正規の協議も無く、決断を下した」と指摘。また「ペレツは、別の政策が提示されていたにもかかわらず十分に考慮せず、国防軍の戦闘準備状況を確認せず、彼自身の計画を吟味せず、代替計画も要求しなかった」と非難。「国防相は、知識不足のため、自ら統率していた軍に異議を唱えることが出来なかった」と批判した。
同調査委員会はさらに「閣僚は、作戦内容を理解しておらず、いかなる結果が予想されるのか、何がメリットなのかさえ分からなない計画を承認した」と総括した。委員会は「内閣は、どうように手を退くか分からない作戦を承認した」と指摘。「内閣に提示された作戦や目的が漠然としたものだったにも拘らず、様々な情報入手出来た立場の閣僚が作戦を支持した」と非難。「内閣が打ち出した戦争の目的は大きすぎ、レバノンの前線に相応しくなかった」とした。
同調査委員会はハルーツ前参謀総長について「軍の最高司令官として過失があり、職務上の技術、責任と思慮分別を欠いた」と言明。「参謀総長は、予測しうる事態に対する、準備が出来ていなかった」と非難した。さらに「参謀総長は衝動的に行動し、政治指導部にレバノン前線の複雑さを説明しなかった」と指摘。「ハルーツ中将は、提示されれば問題をよりよく対処できたはずの情報、推測や計画が軍にあったにも拘らず、これらを内閣に提示しなかった」とした。報告書は「参謀総長は、軍事作戦に向けた準備が整っていなかった軍の貧弱な状況を報告せず、軍は準備体制が整い、作戦の計画があるという雰囲気を醸成した」と断定。さらに「参謀総長は、オルメルト首相やペレツ国防相の軍事知識や経験の不足を知っており、責任はより重大となる」と付け加えた。
カディーマ有力議員は「オルメルトの辞任は避けられない」と述べた。同議員は「オルメルトが週末までに個人的決断を下さなければ、カディーマ内では党首を代えるために行動する」と強調した。
イスラエル・マイモン内閣総括部長はこうした発言を否定し、「その有力議員は、匿名とせずに発言すべきだ」と非難した。同部長は「オルメルト首相に辞任するつもりは無く、報告書を適用するつもりだ」と強調。内閣は2日後に、中間報告書の内容を確認するため、会議を開く。
エルサレムの首相官邸前では現在、メレツ活動家や「個人責任の会」を含む、数十人が抗議デモを行っている。デモ隊には、ヨム・キプール戦争後の民間デモを率いた、モーティ・アシュケナズィ氏の姿も見られた。
戦死者の親の会は首相と国防相の即時辞任を要求した。第2次レバノン戦争で、息子のヨナタン氏を失ったダビッド・アインホーン氏は「国防相は我々との会談で、ヴィノグラード委員会が、行動に問題があったと結論した場合、辞任すると述べていた」と指摘。同氏は他の遺族と共に、国防相に対し、労働党の党首選を待たずに、現時点で辞任するよう呼びかけた。
国防相顧問の1人であるエイタン・リラズ弁護士は「ヴィノグラード委員会は、ペレツ国防相の辞任を勧告していない」と指摘した。同弁護士は「国防相に対する結論は、任期続行を不可能にするものではない」とした。
ヒズボラの外交担当ナワフ・ムサウィは「この報告書からは、イスラエルは夏に戦争を計画していたということが分かる」と述べた。英BBCラジオのアラビア語放送の取材に応じ同担当は、ヒズボラがイスラエル軍兵士を拉致した際に「無意味な冒険をした」と非難した人物を批判。一方イスラエルの民主主義を賞賛し、「アラブ諸国は、どう機能すべきかをイスラエルから学ぶべきだ」とした。
ブッシュ米大統領は「オルメルト首相は、中東の和平プロセスにとって重要だ」と述べた。ホワイトハウスのトニー・スノー報道官は「ブッシュ大統領は、オルメルト首相と緊密に行動しており、2つの民族に2つの国家を与えるうえで不可欠だと信じている」と指摘。同報道官はヴィノグラード委員会の報告書に対するコメントを拒否し「イスラエルの内政問題だ」とした。
【解説】
第2次レバノン戦争を調査したヴィノグラード委員会の中間報告書が提出されました。予想以上に厳しい報告書に、首相をはじめ、政治首脳は皆驚きを隠せません。
詳しい解説はこちら
投稿者 moshe : 2007年05月01日 17:16
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コメント
はじめまして、ささいと申します。第二次レバノン戦争に関しては興味があって、勃発当時からニュースを見ていたのですが、今回のこの「ヴィノグラード調査委員会、中間報告書」には非常に疑問を覚えたので、書き込みをいたします。
「オルメルト首相はよく考えもせず、計画もない状態でヒズボラとの戦争を開始した」と報告書は批判しています。
大変「ごもっとも」な指摘だと思うのですが、ではすぐに攻め込まなかった場合どうなっていたでしょう? もし、あの時オルメルト首相がヒズボラへの攻撃に間を置いていたら「弱腰」と非難されていたのではないでしょうか? 確かヒズボラとの戦争の前に、ガザでハマスにイスラエル軍兵士が誘拐された時、交渉抜きで間髪入れずにガザへ攻め込みましたよね。相手がハマスだと攻め込むのに、ヒズボラへはためらうのではダブルスタンダードだと思うのですが、どうでしょう?
確か開戦当初、ヒズボラへの攻撃を決断したオルメルト首相のへイスラエル国民の支持率は80パーセント近かったですよね。国民のほとんどが開戦を支持しておきながら、上手くいかなかったからといって、今になって首相の決断を非難するのはおかしくないですか?
それに、「計画が無かった」と非難していますが、一朝一夕に戦争計画が出来上がるものではありません。それこそ、第一次レバノン戦争で撤退した直後からこういった事態(レバノンへの再侵攻)に備えて計画を立てておくべきでした。そういう意味では、きちんとした戦争計画を立てていなかった前首相のシャロン首相やバラク首相も同罪でしょう。
そもそもイスラエル国民は今回の戦争でレバノンをどうしたかったのでしょう? 第一次レバノン戦争のように再びベイルートを占領するのか、それともナスララを殺すか捕縛するまで戦闘を続けるのか? それに、ガザのような狭い地区でハマスにさえ手こずっているうえ、第一次レバノン戦争で10年以上かかってヒズボラを殲滅できなかったにも関わらず、今度こそヒズボラを打倒できると本気で考えていたのでしょうか?
イスラエル国民が「至らない指導者」を非難するのは至極当然なことですが、その厳しい目を「自分たち自身にも向けるべきでは?」と思うのは、私が平和な国の人だからでしょうか?
投稿者 ささいのり : 2007年05月01日 21:45
ささいさん、書き込みありがとうございます。とても考えさせられるコメントですが、気になる点もありましたので、返事させていただきます。
まず、報告書の批判と国民の批判は分けて考えたいと思います。調査委員会は戦争に関する冷静で客観的な結論を出すことを要求されています。つまり、委員会は、国民の支持とは別に、開戦当時の状況を分析し、過失があれば批判し、逃れることの出来なかった失態なら、改善に向けた意見を述べることを求められています。国民は、自らも被害にあっているため、批判が主観的になることは不思議なことではありませんが、このことは後で説明したいと思います。
ささいさんのご意見ですが、「当時の状況を考えると、間を置かずに開戦することは避けられなかった」と理解しました。当時の状況は、軍事経験が乏しいオルメルト首相とペレツ国防相が就任したばかりで、ささいさんがご指摘されるように、イスラエルはガザで拉致兵士奪還のために軍事作戦を行っていました。ヒズボラが兵士を拉致したとき、イスラエル政府が最も恐れていたのは、拉致が今後何度も続くことと、オルメルトが「何も出来ない弱いリーダー」としてテロ組織になめられることでした。これら踏まえて考えると、オルメルト政府が、何らかの対応を求められていたことは確かです。
報告書が非難しているのは、オルメルトが拉致に対する作戦を決断したことについてではありません。非難は、主に作戦の内容や、政策判断の甘さについてです。兵士が拉致されてから作戦を開始するまで時間は十分ありました。軍の専門家から意見を聞き、大規模な作戦が無理であることを理解するには十分な時間でした。
前のレバノン戦争でも、レバノン前線の複雑さは証明されています。先代のバラク首相やシャロン首相がヒズボラを攻撃しなかったのはそれが理由とも言われています。また軍の準備や北部のシェルター設備が整っていないのならばければ、小規模な作戦に留まり、その間に準備を整え、計画を立てるなどのことは出来たと、報告書は指摘しています。
もちろん、準備が出来ていなかったことはオルメルトだけの責任ではありません。報告書は、2000年の撤退から準備不足は続いていた、と言明しています。
次に「イスラエル国民は戦争で何をしたかったのか」とう事ですよね。報告書が最も厳しく非難しているものの一つのが、「戦争の目的が漠然としていて、とても達成できるものではなかった」という点です。この戦争の特徴の一つは、イスラエルの対応が後手後手で何がしたいのが分かりづらいというものでした。
報告書は「イスラエル政府は、地上戦を行わずに、空爆だけでヒズボラに大打撃を与え、イスラエル国民に死傷者を出さず、レバノンの被害も最小限に留め、ヒズボラの弱体化による政治的利益も得ることが出来ると考えていた」と批判しています。この考えが、メディアを通じて国民に浸透したのではないでしょうか?
確かに「国民は、戦争を支持しておきながら、首相だけを批判するのはおかしい」と言うのは間違えではありません。ただ、国内と国外では見えてくるものも違います。まず、イスラエルは皆兵制で国民は皆、軍隊に行っています。そのため、「拉致に対する戦争を支持しておかなければ、自分や家族が拉致されたときにイスラエルは何もしてくれない」という考えが根強いと思います。
次に、軍に対する絶対的な信頼のため、軍が出来ると言われれば信じると思います。さらに、戦争中は黙って軍に任せるとい考えが強いように思えます。これは、戦争中に野党が批判を控えていたことからも伺えます。これが、国民が開戦を支持した理由だと思いますが、戦争の内容を指示したというわけではありません。
また、戦争に対する批判が強まったのは戦争終了間際です。兵士が帰還し始めたことにより、戦時中の政治的判断や軍の運営が安易だったということが明らかになってきました。また、大きすぎた戦争目的の中から何も得られなかったということから、政府への不満が募ったのだと思います。
投稿者 Moshe : 2007年05月03日 21:20