2007年01月22日
後任参謀総長、アシュケナズィー予備少将に、ほぼ確定
2007年1月21日(日)22時 FM95のニュース
副参謀総長のモシェ・カプリアンスキー少将は国防相に、後任参謀総長への指名を辞退すると伝えた。カプリンスキー少将は「私には、最もよく参謀総長として務めるための経験と実力があるが、参謀総長の指名は出来るだけ多くの承認を得たほうが良い」として、「後任の指名は、レバノン戦争に関する全ての事実の判明まで待たないと決定が下された今、自分の指名は疑問を呼び、国防軍に被害を及ぼす可能性がある」と説明した。同少将は「現時点で、参謀総長への指名を受けるのは相応しくないと思う」と国防相に書いた。しかし、退役はせず、「必要とされる限り、経験と実力を軍のために使う」と述べた。
(カプリアンスキー少将の辞退を受け、)後任参謀総長候補は、ペレツ国防相が推薦する、ガビー・アシュケナズィー予備少将のみとなった。今夜、ペレツ国防相は後任参謀総長指名に関する協議を終え、数日中にオルメルト首相と調整した上で、指名を公表する。
外交防衛委員会は今夜、首相と国防相に参謀総長の早期指名を呼びかけた。同委員会の報道官らは「次期参謀総長は、レバノン戦争に関与していなかった人物にするべき」と指摘した。
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シモン・ペレス次席首相は「経済的にテヘランに勝利し、イランを倒すことが可能」と述べた。同次席首相はこの発言を、ラムラで行われたカディーマ府の落成式で述べた。
国防省治安防衛部のアモス・ギルアド部長は、ヘルツェリア会議で「イランは2年から4年の間に核兵器を保持する可能性がある」と警告した。一方、モファズ大臣は世界に、遅くなる前に団結し、使える手段を用いて、イランを止めるよう呼びかけた。
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欧州連合のハビエル・ソラーナ外交政策担当委員はイスラエルに、入植地と分離壁の建設を凍結するよう呼びかけた。ソラーナ委員は「東エルサレム視察の際、現地の状態が悪化し、壁に含まれる地域と入植地が拡大していたのに驚いた」と強調。「現状が、2つの国に基づく、イスラエルとパレスチナの合意を害さないことを願う」と付け加えた。同委員は同発言を、アンマンで記者団に対し述べた。委員はエルサレムに戻り、ブリュッセルに帰還する前に、オルメルト首相と会談する予定。
【解説】
後任参謀総長の1人、カプリアンスキー副参謀総長が指名を辞退したため、アシュケナズィー予備少将が唯一の有力候補として残り、事実上指名が内定した。アシュケナズィー予備少将は、副参謀総長、ゴラーニ部隊長、北部軍長などを歴任し、現在は国防省の総括部長。副参謀総長時代、ヤアロン元参謀総長の後任として名が挙がっていたが、ハルーツの任命が決まると、退役した。
アシュケナズィーは2000年のレバノン撤退と、北部国境で起きた兵士3人の拉致事件の際、北部軍長を務めていたが、2006年のレバノン戦争時には既に退役しており、戦争に直接関与していない。後任参謀総長は、戦争に関わっていなかった人物が相応しいとされていたことも、指名の重要なポイントの一つ。
【ガビー・アシュケナズィー】
イスラエルの軍人。階級は予備少将。国防省総括部長。次期参謀総長の最有力候補。
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1954年、シャロン地方のハグールで生まれる(ハルーツと同郷)。1972年、ゴラーニ旅団に入隊。ヨム・キプール戦争では、南部で戦う。1976年、アンテベ作戦に参加。1978年に負傷し、除隊。2年後の1980年にゴラーニ大隊の隊長として復帰した。
第1次レバノン戦争時には、ゴラーニ旅団副団長として参加。ブフォール占領などを指揮する。
1986年、ゴラーニ旅団長に任命。インティファーダ削減を任される。その後、北部軍作戦部長、北部軍機甲師団長、参謀作戦部長などを歴任。1998年、北部軍長に任命。2000年のレバノン撤退を指揮する。2002年、副参謀総長に任命。2004年、ヤアロン参謀総長(当時)の後任として名が挙がっていたが、2005年ダン・ハルーツの任命が内定すると軍を除隊する。
除隊後、ペレツ国防相に、国防省総括部長に任命され、2006年7月から同職を務めている。現在、ハルーツ参謀総長後任の最有力候補として名が挙がっている。
投稿者 moshe : 2007年01月22日 23:00
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