2006年08月05日
ハデラ近辺にロケット着弾
2006年8月5日08:00 FM95 のニュース
通信会社などによると、イスラエル空軍のヘリコプターがティルスを攻撃し、対ヘリコプターミサイルによる反撃を受けた。レバノンでは、4人の市民とレバノン兵1人、計5人が死亡したと伝えた。
イスラエル空軍は昨夜、ロケット発射機やベイルート南部のヒズボラの建物などを爆撃。ヒズボラの地下作戦室、事務所、司令部、武器倉庫やテロ扇動に使用されているヒズボラ系新聞社の事務所などが被害を受けた。イスラエル軍は爆撃前、地域の住民に、避難するよう呼びかけた。
イスラエル警察は、昨夜ヒズボラが打ったロケットは、沿岸平地(ハデラ近辺からガザ地区まで)北部で爆発したと推測している。負傷者は無く、被害の報告は無い。着弾の後ヒズボラは、ロケット「ハイバル1号」数発を、ハデラに向け発射したと発表した。
コンドリーサ・ライス米国務長官は「レバノン危機集結に関する決定は数日中に下される」と述べた。ライス長官は、第1段階として、レバノンでの暴力を防ぐための政治的枠を結成すると強調。第2段階としては、永続的停戦を守る為の治安時部隊の第1部が配備されるとした。
米外務省報道官は今週末、ライス長官がテキサスにあるブッシュ大統領の牧場で、早期停戦宣言について会談している事を明らかにした。米政府は、フランスの要求を受け、即時停戦に応じ、国際部隊派遣についての合意はその後にする見通し。
アナン国連事務総長は、レバノン危機停戦を呼びかける安全保障理事会の決定は近いとの希望を見出した。その後、理事会は多国籍部隊に関する、別の決定も下す事が出来るとした。アナン事務総長はその事につき、レバノンのセニヨーラ首相、ブッシュ大統領とブレア英首相と話したと伝えた。
【解説】
昨夜、ハデラ近辺にロケットが着弾した。ハデラには工場もあるし、他の主要都市とは目と鼻の先。着弾時の爆発音はネタニヤ、クファル・サバ、ヘルツェリアなどでも聞こえたらしい。
昨日のカチューシャ攻撃では、アラブ系イスラエル人3人が死亡した。
【ハッサン・ナスラーラ・2】
1987年、ヒズボラはアマルをベイルートから追放。ナスラーラはイランに勉強しに行く。1989年に、アマルとヒズボラの戦闘が再開すると、ナスラーラは帰国し、戦闘部隊の上に立つ。1990年、ヒズボラは正式に戦闘部隊を結成。隊長にはナスラーラが抜擢される。
この頃、ヒズボラはレバノン共和国の中での活動を目指す穏健派とナスラーラなどの過激派に分かれていた。イランは穏健派を指示。1990年、シリアがベイルートを占領。ヒズボラ以外の組織は解体され、ヒズボラはレバノン南部で力をつけていく。
1992年、イスラエルがヒズボラの議長を暗殺。ナスラーラが新議長に就任する。同年、ヒズボラは経済的、社会的、政治的活動も始める。また、占拠にも出馬し、ヒズボラは12議席確保する。4年後の占拠では9議席確保する。
2000年、イスラエルがレバノン南部から完全撤退。アラブ社会は「撤退はヒズボラのお陰」と賞賛。イスラエル撤退後、ヒズボラはレバノン南部に戦闘部隊を展開。イスラエルにロケットを向ける。2004年の、捕虜交換(タネンバウム取引)において、ナスラーラは更に指示を高める。この交換より、ヒズボラやパレスチナ武装組織による兵士拉致未遂が増える。
2006年7月、ヒズボラは再び兵士2人を拉致。これによりレバノン危機が勃発する。イスラエルは、ヒズボラ弱体を目的としレバノン各地を爆撃。ヒズボラはカチューシャ・ロケット弾をイスラエル北部に向けて発射する。
ナスラーラは、敵味方からカリスマ的でとても優秀な演説家と考えられている。また、年が若いにもかかわらず、強い権力を持っていると考えられている。イラン・シリアとの関係を重視し、ヒズボラ内でのリーダーシップは揺ぎ無い。
また、心理戦を重視し、ヒズボラ系テレビ局の放送などで、イスラエル・アメリカを軽視し、ヒズボラのイメージを高める事が多い。
投稿者 moshe : 2006年08月05日 17:38
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