2006年03月14日
ジェリコの刑務所で銃撃戦
2006年3月14日12:00 FM95 のニュース
エルサレムの米国関係者によると、ジェリコの刑務所で勤務していた外国人看守は、イスラエル国防軍の軍事作戦の少し前に退去した。イギリスのジャック・ストロー外相は「パレスチナ自治政府は、レハブアム・ゼエビーの暗殺者を拘束していた外国人看守の保護する約束に関しては、継続的に失敗した」と非難した。
ギドン・エズラ公安大臣は「アハマド・サーダト一味を釈放する動きがあったので、ジェリコでの軍事作戦は止むを得なかった」と発言。「パレスチナは、サーダト抑留に対するイスラエルとの合意を破った」と強調した。
アハマド・ティービー議員は「イスラエル国防軍の軍事作戦は、選挙目的の明確な条約破棄だ」と非難。次期パレスチナ首相のイスマイル・ハニヤはアハマド・サーダトに危害を加えないよう警告した。
【解説】
今朝、ジェリコの刑務所で勤務していたアメリカとイギリスの看守が退去した。彼らは、レハブアム・ゼエビー暗殺を指揮したPFLPのアハマド・サーダトを監視していた。退去命令は抑留者を釈放する動きがあり、看守の生命が危険にさらされる恐れがあるからだったようだ。正式な理由は「ジェリコの治安悪化」とされた。
これに対し、サーダト釈放を恐れるイスラエルは、ジェリコの刑務所を攻撃。目的はサーダトらをイスラエルの刑務所に護送するためとされた。現在、刑務所を包囲しているが、まだ突入していない。イスラエル軍は、サーダトに投降するよう呼びかけている。銃撃戦ではパレスチナ人警官一人が死亡した模様。
参考:ハアレツ電子版 http://www.haaretz.co.il/hasite/spages/694063.html
イスラエルの軍人、右派政治家。愛称「ガンジー」。PFLPメンバーにより暗殺された。
―――
1926年6月、エルサレムで生まれる。1974〜1976年、イツハク・ラビン首相(当時)の軍事顧問を務めるが、対エジプト政策に反対し辞任。その後、執筆など文化系の仕事をし、1981〜1991年にはテルアビブのエレツ・イスラエル博物館の官庁を勤め、博物館を国内で最も重要な博物館の一つにする。
1987年、大イスラエル主義と自主的トランスファー(住民交換)指示を表明。これらを、アラブとの真の平和を気付く為の唯一の方法とする。1988年には政党モレデットを創立。暗殺まで党首を務める。
1988年国会入りを果たし、1991〜1992年にはシャミール内閣で無任所大臣に任命。1992年に、マドリード平和会議に反対し、内閣から脱退。1999年の選挙に向け、政党へルートとトゥクマと合併し国家統一党を設立。2000年にはイスラエル・ベイテイヌも参加した。
2001年、第一次シャロン内閣で観光大臣を務めるが、辞任。1日後、リーダー暗殺の報復を望むPFLPメンバーにより暗殺された
投稿者 moshe : 2006年03月14日 19:59
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.israel-radionews.com/moshe/mt-tb.cgi/144