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2005年12月07日

モファズ国防長官、シャロン首相非難

2005年12月7日07:00 FM95 のニュース

モファズ国防長官は、自身のリクード党首選出を、すでに離党したシャロン首相が妨害していると非難。同長官によると、首相は国防会議を攻撃の場に利用。同長官によるエジプト国境防衛計画の発表中に「この計画は、政治的か、軍事的か、それとも社会的か」と質問した。モファズはこの発言を「深刻な問題」で「汚い工作」だと述べた。

首相側近は「アリエル・シャロンは自分の内閣にいるどの大臣とも、個人的な抗争をしない。リクード党内選挙のせいで、モファズ長官が首相への攻撃を続けるのは、残念だ」と述べた。

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警察は、環境大臣時代に不当に影響力を行使し、側近を環境省内のポストにつけたとして、ツァヒー・ハネグビー無任所大臣を起訴勧告した。これについて同大臣は「環境大臣としての全ての行動は法的に行われ、イスラエル歴代内閣の大臣の行動と変わらなかった」と反論した。

調査資料は数日中に書類送検される。警察はハネグビーを裁判にかけるだけの十分な証拠はあると発表。また警察は、ハネグビー環境大臣時代に同省次官とハネグビー大臣顧問を務めた、シュムエル・ヘルシュコビッチも起訴勧告した。

【解説】

モファズはシャロンから攻撃されたとして非難。シャロンはこれを否定。

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警察は、リクードツァヒー・ハネグビー臨時党首が環境大臣時代、自分の側近を環境省高官ポストに就けていたとして調査。ハネグビーはこれを否定。

ちなみに、ハネグビーは今日昼の記者会見で、カディーマ党転籍を発表する模様。クリーンなイメージを目指していたはずのカディーマ党に、国民から「最も汚れている」と見られている大臣が転籍することになる。

カディーマ党がクリーンなイメージを目指しているのは、「リクード=汚職」のイメージがあるから。

【ヨースィー・サリッド・2】

1984年、労働党を離党し、左派政党のラツ(後のメレツ)に転籍。サリッドはラツの中では右寄りで、兵役拒否、エルサレム分割、核兵器放棄などに反対。その後、マパム党、シヌイ党などと掛け合い、メレツ党を結成。サリッドは幹事長となる。

1992年、ラビン内閣で環境大臣となる。ラビン内閣では、オスロ同意や社会的推進などを指示する。オスロ合意については「新しい中東」を予言した。ラビン首相暗殺後は、右派を非難。


1996〜2003年の間、メレツ党首を務める。1999年のバラク政権では教育相を務める。しかし、シャス党との対立の結果、内閣から離脱。野党からも内閣を支持し続ける。

2001年の連立政権発足と共に、野党党首となり、労働党のシャロン内閣参加を非難する。シャロン内閣の、パレスチナ武装組織暗殺、福祉教育予算の削減なども非難した。また当初、分離壁建設を支持するが、内閣がパレスチナ自治区の中に壁を建設すると、これを批判。


2003年総選挙の大敗に伴い、党首を辞任。サリッドは左派政党の支持低下について、イスラエル人の希望を薄めたとしてアラファとを非難。同年、メレツはヨースィー・ベイリンのシャハル党と結合しメレツ・ヤハッド党となる。党首はベイリンとなる。

2005年12月、政界を離れる。

<<<ヨースィー・サリッド・1

投稿者 moshe : 2005年12月07日 17:19

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