2005年12月01日
シモン・ペレス議員、労働党離党正式に発表
2005年11月30日22:00 FM95 のニュース
シモン・ペレスは労働党を離党し、アリエル・シャロン支持と和平交渉及び経済面で協力を表明した。ペレスは「シャロンは選挙直後の和平交渉続行を決意をしている。平和と経済発展の与党を成立するのに最適なのは彼にほかならない」と述べ、和平推進、世界各国からの支援金要請、エジプト・ヨルダンとの経済的協力に貢献すると語った。
シモン・ペレスは国会議員を辞任しないが、次期総選挙には参加しない。ペレスは、今後党関係の活動をしないことを予告し、カディーマ党への転籍も否定した。
長年シモン・ペレスの秘書を勤めたヨラム・マルツィアーノは、「ペレスは『理論的道徳的では無い』自分の行動について、満足していないように見える。彼の行動には、歴史が審判を下すだろう」と語った。
メレツ・ヤハッド党のヨースィー・ベイリン党首は、「ペレスは『労働党』いう名の『思想スーパーマーケット』を離れて正解だ。しかし、全ての商品が賞味期限切れの『シャロンのスーパーマーケット』に移ったのは大きな失敗だ」と述べた。
労働党のオフィール・ピネス議員は、「偽りのイデオロギーのペレスの会見は、現実味が無く周囲を困惑させる。離党を平和の為と見せようとする努力は哀れだ」と評した。
リクード党のビンヤミン・ネタニヤフ議員は、「これで、カディーマ党が左翼であることがハッキリした。ダリヤ・イツィク、ハイム・ラモン、シモン・ペレスの発言は、カディーマが左に寄りつつある証拠だ」としてカディーマ党を批判。また、「シャロンの党は第二の労働党だ。しかし労働党と違い、政策を隠そうとしている」と牽制した。
同党のウーズィー・ランダウ議員は、「シモン・ペレスは『早い者勝ち』の党に乗換えた。シャロンは、イスラエルの『バーゲンセール』(※注1)を行う為に、オスロ合意や分離計画の支持者を集めた」と述べた。
【解説】
(※注1)バーゲンセールはヘブライ語で「メヒラット・ヒスール」、つまり売切れるまで売るという意味。しかし、「ヒスール」は「根絶」という意味もあるので、ランダウ議員が言っているのは「シャロンの政策は、イスラエルを滅亡させるもの」という意味。
ペレスの離党が正式に決定。各方面から非難が来ている。労働党は「長年率いてきた党を裏切った」と言い、リクードは「カディーマは左翼だ」と言っている。リクードは今後も、「カディーマは『左翼』。本来のリクードに近いのは、現在のリクードであってシャロンではない」と言うことを強調していく模様。
ペレスは次期国会には入らないようなので、1959年以来初めてペレスのいない国会となる。シャロンが勝った場合、ペレスは国会外からシャロン内閣に入る模様。
ちなみに左派メレツ・ヤハッド党のサリッドも明日、32年間いた政界から離れる事を宣言するそうだ。
ラビン首相暗殺後の1995年、ペレス内閣にはいるため、ラモンは労働組合を離れる。1999年のネタニヤフ内閣崩壊を呼んだ議員の1人でもある。
1999年のバラク内閣では首相府大臣になり、エルサレム問題に取り組む。その後、内務大臣に任命され、改革を始めるが、バラク内閣崩壊と共に改革は中止にとなる。2001年には、シャロンの連立内閣には参加しなかった。2002年には、労働党党首選挙に出馬するが、アムラム・ミツナに敗北。
ラモンは、一方的撤退を考えた最初の1人とされている。その後、一方的撤退案は労働党に採用される。また、後にシャロンの分離計画につながり、ガザ撤退に発展する。
ラモンは、パレスチナ主要人物との関係を続け、アッバスには「イスラエルではじめての友人」と称される。
シャロンの「カディーマ党」結成に協力し、2005年11月にカディーマ党に入党する。
投稿者 moshe : 2005年12月01日 18:20
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