2005年11月03日
イスラエル軍の発砲により、パレスチナ人男子1人死亡
2005年11月3日12:00 FM95 のニュース
ジェニンでパレスチナ人男の子(12才)が、国防軍の発砲により死亡した。男の子の名はアハメド・アルハティブで、友達と一緒に、作戦実行中の国防軍兵に向けて投石をしていた。
証言によると、男の子はプラスチック製の玩具の銃を持っていた。パレスチナ側によると、国防軍は指名手配者を探す為、町を包囲している。
国防軍は、男の子が撃たれた事件を調査すると発表した。
【解説】
今日のトップニュースも、イスラエル軍の軍事作戦について。日本のニュースだと多分「投石していた」のところで終わると思う。そこらへんを注意して読んでみると面白いと思う。良し悪しとは別に、国によってニュースの出方が違うので…
ちなみに、明日は故ラビン首相暗殺10周年。今日から式典が色々行われている。正式な国の式典は月曜日に行われる予定。
イスラエル第5代首相、第7代参謀総長。イスラエル・パレスチナの和平交渉に反対する極右の学生により暗殺された。
―――
1922年3月、エルサレムでロシア出身の両親の間に生まれる。1歳のとき、家族はハイファに、そしてその後テルアビブに引っ越す。15歳のときキブツの農学校に入学。1940年に卒業。
青年時代、アラブ側からの攻撃からユダヤ住民を守る為に結成されたハガナに入隊。19歳にはパルマハに入隊した。1946年、パルマハ4部隊のひとつ、第2部隊の部隊長となる。
独立戦争で活躍。イスラエル軍の分裂を防ぐ為、エツェル(武装組織のひとつ)の武器を積んだ船を沈めさせた、「アルタレナ事件」にも関与。また、イスラエル・エジプトの独立戦争の休戦についての交渉や休戦合意にも参加。
北部隊長、作戦部隊長などを経て、1964年、参謀総称に就任。イスラエルの圧勝に終わった六日戦争(1967年)を指揮した。
参謀総長引退後の1968年、アメリカ大使に任命される。この時、アメリカはイスラエルへの武器輸出が最も大きい国となり、両国の関係は深まる。1973年、労働党に入党。
首相就任後のラビンについては、また次回…
投稿者 moshe : 2005年11月03日 19:54
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