2005年10月23日
日本漁船当て逃げ事件のイスラエルコンテナ船の取り調べ開始
2005年10月23日10:00 FM95 のニュース
警察は今朝、ZIM ASIAコンテナ船のモシェ・ベンダビッド船長、事故当時の見張り役と航海士を逮捕した。警察は容疑者に過失致死傷罪と放置罪があるとして調査している。警察は3人が偽証の為の口裏合わせをしたと疑っている。警察は容疑者らに討論をさせる模様。
国家詐欺調査部隊とハイファ地方弁護団は、容疑者2人と他の乗組員20人の証言を得る為に、ZIM ASIAコンテナ船に乗り込んだ。調査後、資料はハイファの国家部隊事務所に送られる。
コンテナ船の底には、他の船とぶつかった跡がある。警察は、ハイファに在るZIM本社の事務所でも、7人が亡くなった日本漁船との衝突事故関連の、資料や手紙のやり取りなどを調査している。
【解説】
今朝、7人が亡くなった当て逃げ事件の容疑がかかっている、イスラエルのコンテナ船がハイファに入港した。それに伴い、イスラエル警察の調査が始まった。
船長は事故当時、睡眠中だったと言われている。コンテナ船は、ぶつかったことに気づいたのか?気付いたのなら、誰がそのまま逃げることを決めたのか?などまだ疑問が多い。
ぶつかった後航路を変えたことなどを考えると、誰かがぶつかったことに気付き、誰かがそのまま航路を変更したと考えられる。しかし、まだハッキリしていない。
一説によると、ぶつかった後、船長に報告するのを恐れた乗組員がそのまま航路を続けたとも言われている。どちらにしても、警察の調査は始まったばかり。
事故の記事:イスラエルコンテナ船 日本の漁船に当て逃げ
イスラエルで3番目に大きい都市。イスラエル北部の中心地。面積は60,000ドゥナム。人口(2003年)は270,400人。そのうち91%がユダヤ人、3.8%がイスラム教徒のアラブ人、4.8%がキリスト教徒のアラブ人、0.1%がドルーズ。
―――
紀元前3世紀の子文書などにも記録されていて、かなり古い町。昔はアッコに行く中間点の小さな町だった。昔からハイファはユダヤ人とアラブ人が入り混じって住んでいた。
近代のハイファは1761年に創立。ガリレアの知事ダハール・アルオマールが旧市街を破壊して、新都市を作ったのが現在のハイファ。19世紀になると、キリスト教徒の移民などにより大きくなり始める。
20世紀、イギリス統治時代、ベイルートとカイロを結ぶ線路の中間地点の駅が、ハイファに出来る。イギリスはハイファの駅とハイファ港を重要な交通のポイントとして開発する。
現在、ハイファには理数系専門のテクニオン工科大学と社会系専門のハイファ大学の、2つの大学がある。2004年、ノーベル化学賞を受賞したアブラハム・ヘルシュコ教授とアーロン・チェハノバー教授はテクニオンに所属している。
そのほかにもスポーツも盛んで、2つのサッカークラブがある。その1つのマッカビ・ハイファは9回優勝していて、イスラエルサッカークラブとしてはじめてチャンピオンズ・リーグに参加した(2002年)。
投稿者 moshe : 2005年10月23日 18:37
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コメント
こんにちは。
山森先生のサイトからとんできました;−)
すばらしいブログですね。
(アイデアがいい。 そして、役に立つ*)
地道な作業だとは思いますが、これからも楽しみに読んでいきますので、やめないでくださいね^^*
投稿者 hippo : 2005年10月28日 08:39
hippoさん
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
投稿者 Moshe : 2005年10月29日 01:42