2005年09月12日
ユダヤ人入植地・1
2005年9月12日06:00 FM95 のニュース
国防軍はガザ北部からの撤退を完了。軍はキスフィーム検問所より撤退をした。又、南部でもフィラデルフィア・ルートからの撤退が、クファル・シャローム検問所を通って続いている。
機甲部隊と技術部隊の撤退が、最初に早朝3:00に行われ、ガザ周辺に配備された部隊に加わった。軍は時折、パレスチナ人群集を遠ざける為に、威嚇の発砲をしている。
ガザ地区南部では、軍の防弾車が動けなくなり、現在救出が行われている。
ハン・ユニスの数千人のパレスチナ人が、撤去されたグシュ・カティフのユダヤ人入植地に進入。入植地の内、ネヴェ・デカリーム、モラグ、ネツァリーム、クファル・ダロムではシナゴーグが放火された。パレスチナ警察は、群衆の前に何も出来なかった。ネヴェ・デカリームには、いくつかの武装組織が進入し、シナゴーグの屋根に組織の旗を掲げた。
パレスチナ自治政府アブー・マゼン(アッバス)議長は「ガザ撤退はパレスチナの土地の占領終了の最初の一歩である。今日は勝利と喜びの日であるが、まだいくつもの事がされなければならない」と発言。
作戦部隊イスラエル・ズィヴ隊長によると、撤退はパレスチナとの協力の上で行われ、パレスチナ警察部隊は国防軍が撤退した場所に入っている。しかし、パレスチナ部隊は人員不足の為、シナゴーグ放火を防げなかった。
【解説】
12:00現在、撤退は完了し、検問所も閉鎖された。
パレスチナ側ははじめから、シナゴーグを破壊するつもりでいた。放火も成り行きとしては、なぜ行われたか理解できるのだが、複雑だ。これで、ユダヤ人の過激派に、モスク危害のGOサイン送ってしまったわけだが、大丈夫だろうか?
『ユダヤ人入植地』とは、六日戦争以降イスラエル領になった領土に作られたユダヤ人の住む入植地のことである。主に、ヨルダン川西岸地区やガザ地区にある入植地の事を指し、ゴラン高原や東エルサレムの町はそう呼ばれない(少なくともイスラエルでは)。入植地は、民族宗教運動グシュ・エムニームや歴代イスラエル政府によって作られた。
最初の入植地は、六日戦争(67年6月)終結直後に作られた。
グシュ・エムニームは、宗教的な入植者によって結成され、次第に民族宗教主義者の間に広がっていった。ヨム・キプール戦争(73年)の失態後の重い空気の中、一部の人々に希望を与えたのも事実。
世俗派の中にも、グシュ・エムニームを、シオニズムの延長線とみなし、支持した、故ナオミ・シェメル(作詞作曲家)やアリエル・シャロン(現首相)などがいる。
入植地の歴史については、また次回…
参考:
http://he.wikipedia.org/wiki/%D7%94%D7%AA%D7%A0%D7%97%D7%9C%D7%95%D7%99%D7%95%D7%AA
投稿者 moshe : 2005年09月12日 19:12
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