2005年09月20日
ナチハンター シモン・ヴィーゼンタル死去
2005年9月20日12:00 FM95 のニュース
今日ウィーンで、ナチハンターのシモン・ヴィーゼンタルが96歳でなくなった。ホロコーストの生存者で建築家が職業の、ヴィーゼンタルは50年以上の間、1000人以上の元ナチス幹部を裁判にかける事に尽くした。
アドルフ・アイヒマン逮捕に協力したが、ヨゼフ・メンゲレを逮捕できなかった事を生涯悔やんでいた。
自ら創立したセンターを使い、反ユダヤ主義や人種差別主義などと戦った。また、ホロコーストの教訓を世界に伝える活動を、生涯続けていた。
【解説】
シモン・ヴィーゼンタルは下の説明の通り、一生涯をホロコーストに携わったナチス幹部の逮捕にかけ、「ナチハンター」の名で知られていた。
アドルフ・アイヒマンは、虐殺に直接関わっていた。世界的にもかなり知られている。アルゼンチンに逃亡していたが、モサド(イスラエルの対外情報機関)によって逮捕されイスラエルにて死刑となる。イスラエルで死刑になったのはこの人だけ。
ヨゼフ・メンゲレは、アウシュビッツでユダヤ人に対し人体実験を行ったとされている、ナチス幹部の博士。「アウシュビッツの死神」として知られていた。
ヴィーゼンタルは、第二次世界大戦中に行われた、ナチス党によるユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)に携わった犯人の情報収集をウィーンで行っていた。
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シモン・ヴィーゼンタルは1908年に、オーストリア・ハンガリー帝国のブチャチ(現ウクライナ領)で生まれ、プラグで建築の勉強をした。
戦争が始まった頃は、後にソ連領となったポーランドに住むが、ナチス・ドイツがソ連を攻めてからは、戦争終結まで数々の収容所に入れられるが、生き延びる。
終戦後は、米軍の為に、戦犯の情報収集をする。1947年には、オーストリアに「ユダヤ人歴史文書センター」を創立。センターは、ソ連やアメリカが、ナチス幹部の方法収集を止めると共になくなる。
ヴィーゼンタル本人は、情報収集を続けると共に、戦争被害者への支援を続ける。
本人の証言によると、アドルフ・アイヒマン逮捕に携わる(当時のモサド長官はこれを否定)。アイヒマン逮捕により、支援が増えると、再び「ユダヤ人歴史文書センター」を開く。
アンネ・フランクの家族を収容所に連行した、ゲシュタポのカール・シルベアバウアーや、ソビボルとトレブリンカの絶滅収容所の長官を務めたフリッツ・ストランゲルなどを、見つけ出し逮捕に協力したことで有名になる。
1977年に、ロサンゼルスで「シモン・ヴィーゼンタル・センター」が開かれる。センターは、反ユダヤ主義やネオ・ナチの活動を追求している。
2003年、94歳の時、引退を表明。2005年9月20日、ウィーンの自宅にて死去。
投稿者 moshe : 2005年09月20日 20:06
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