« イスラエル留置中のバルグーティ、ファタハ組織内選挙に選出 | メイン | 労働党有力議員、カディーマ党へ転籍。労働党は、2チャンネル記者入手 »

2005年11月28日

シモン・ペレス、労働党離党か?

※昨日、最近の記事が全て消え、一年以上前の記事だけが転載されるということが起きました。以前何度かあったことなのですが、問題が分からないので、解決法が分かりません。しかし、http://blog.livedoor.com/common_theme-35723.htmlに入り、記事のタイトルを押せば入れるようなので、今後そのようなことがありましたら、そこからお入りください。
お手数ですが、よろしくお願いします。

2005年11月28日08:00 FM95 のニュース

シモン・ペレスは今日バルセロナ会議に参加する為出国し、水曜日の帰国と共に、労働党からの離党とシャロン新党への参加を正式に表明する模様。シャロンはペレスに、平和担当特別大使の座を約束している。

シモン・ペレスは、「政治的将来についてまだ決定は出していない」として、2日中に決定すると発言した。また、ペレツ労働党党首から何も要求していないことを強調し、「労働党内での席の確保は望んでいない」と述べた。アミール・ペレツは昨日シモン・ペレスに、労働党総裁になることを提案した。↓

イツハク・ヘルツォグ議員は、「数日前ペレスと対談したときは離党の可能性は無いとの印象を受けた」と述べた。またペレスが、労働党内の席確保を望んでいないとも発言した。

インタビューでヘルツォグ議員は、党首選で敗北したからといって、ペレスが「教育的ではない」ことをするとは考えられないとして、離党及びシャロン新党参加の可能性を否定した。

【解説】

一度否定されていた、ペレスの離党とカディーマ党参加が、また浮上した。党に参加せず「カディーマ党支持のみ」という話もある。どちらにしろ、シャロンは「有力なポスト」を約束している。

また労働党では、ペレスに労働党総長(シンボルのようなもの)の座を約束している。

【シモン・ペレス・4】

1995年11月4日のラビン首相暗殺を受け、首相に就任。オスロ合意に基づいた、占領地からの撤退を開始し、シリアとの和平交渉の試みる。

1996年の選挙では、世論調査はペレスの圧倒的勝利を予測した。しかし、テロが相次いだことや、レバノンからヒズバラのミサイルが飛んできたことや、相手が若くメディア操作が上手かったこともあり、まさかの敗北(他にも理由は色々ある)。

野党党首を務めた後、99年のバラク政権で近隣諸国担当大臣に任命される。


2000年には、エゼル・ワイツマン大統領辞任後の大統領選挙では、勝利が予測されたもののまたもやカツァブに敗北。


2001年、バラクが政界を離れ、ペレスが党首に就任。シャロン内閣に入閣し、外務大臣に任命される。

2003年の選挙での大敗後、アムラム・ミツナ党首が辞任したことから、臨時党首に就任。ガザ撤退を実現する為、シャロン内閣に入閣。はじめは首相代理の座を要求するものの、既にエフード・オルメルト大臣が任命されていたので、「副首相」となる。

2005年、労働党党首選でアミール・ペレツに敗北。同年11月、労働党を離党。シャロン支持を表明した。

<<<シモン・ペレス・1
<<<シモン・ペレス・2
<<<シモン・ペレス・3

投稿者 moshe : 2005年11月28日 15:59

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt66.kenko-daijiten.com/moshe/mt-tb.cgi/74

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)