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2005年11月18日

早期選挙が決定。シャロン首相への圧力強まる。

2005年11月18日10:00 FM95 のニュース

スィルバン・シャローム外相は、シャロンリクード党を脱退した場合、自分自身がリクード党党内選挙に出馬すると暗示した。シャロームはチュニス訪問の最後、シャロンリクード党に残るよう呼びかけたが、「首相が脱退すれば、党内選挙には2人以上が出馬するだろう」と述べた。

一方首相は昨夜、「数日中に党会議を開き、今後の政策を発表した後、次の手段を考える」と宣言。


リクード党書記長のイスラエル・カツ大臣は首相に、リクード党に残るよう呼びかけた。リクードよう事務局の会議でカツ大臣は、「誰であろうと、リクード党は選挙の勝利者を支持する」と述べた。

【解説】

シャロンペレツ会談で、選挙が3月の21日か28日になることが決まった。これにより、リクード党内でのシャロンに対する圧力が強まった。

リクード党シャロンに、リクードに残るのか新党を成立するのかどうかハッキリするよう求めている。これに対しシャロンは、リクードに今後の政策を発表した後、反応によって残るかどうかを決める意向を示している。どちらにしろ、今週末中に決めると、本人は言っている。

シャロンにとって、新党を作るメリットはリクード党内に反対派が多いということ。リクードに残るメリットは、40席もある党に残れば選挙運動の資金が入りやすいということだと民営TV2チャンネルのニュースでは分析していた。それから、イスラエルでは大きくて知名度のある党に票が集まるということも、残ったほうが良いメリットだそうだ。


「チュニス訪問」=今まで国交が無かったチュニジアに、シャローム外相が招待された。シャロームはチュニジア出身。母親と共に実家に戻るなど、本人にとっては感動的な訪問だったのでしょう。

【スィルバン・シャローム】

イスラエルの外務大臣。愛称は「スティーブ」。奥さんは大手新聞会社の娘。

―――

1958年10月、チュニジアのガベス生まれる。1959年イスラエルのベエル・シェバに移住。退役後、ベン・グリオン大学、その後テルアビブ大学で学ぶ。

新聞記者を経て、リクード党から国会入りする(1992)。

ネタニヤフ内閣では、文化大臣(1997年)、第一次シャロン内閣では財務大臣(2001年)、第二次シャロン内閣では外務大臣(2003年)に任命される。

シャロームは、外務大臣として国連でのイスラエルのイメージ改善などに力を入れる。シャロームの外相時代、1月27日が国連で「世界ホロコースト追悼記念日」として決定する。また、パキスタンとの国交の兆しも見えはじめる。

投稿者 moshe : 2005年11月18日 18:27

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