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2005年11月11日

ペレツ・ペレス会談

2005年11月11日14:00 FM95 のニュース

ペレツとペレスの会談が行われた。会談の始めにアミール・ペレツは、「これは私にとって感動的瞬間だ」と述べ、ペレスに引退せず、党運営の中心的な役割を担うよう要求した。

シモン・ペレスは、「自分がペレツ労働党復帰に協力した」と発言し、「復帰が労働党にとって意義のある事であることを願う」と希望を示した。また、「党が自分の背中にナイフを突きつけた」とは発言していないと述べた。


今朝の党内会議で、ペレツ新党首と側近は、彼を支持するよう要求。カベル書記長は、3週間以内に、労働党が内閣に残るかどうかについて決議が行われる、と発表した。シャロン首相アミール・ペレツの会談は木曜日に行われる。

【解説】

2日前の労働党党内選挙で、ペレツが逆転勝利し党首に当選した。ペレスは政治的活動からしばらく休息を取ると発言した。一方ペレツはペレスに、引退せず党運営に関与することを要求した。

新聞マアリブ紙の一面に、「党に裏切られた」というペレスの発言が見出しが載っていたが、ペレスはそんな事は言っていないと言っている。


近日中に、労働党が内閣に残るのか、離脱するのかが決まる。離脱した場合、総選挙が早まるり、3月か5月になると予想されている。


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【シモン・ペレス・2】

ゴルダ・メイール首相の辞任後、初めて党内選挙に出馬するが、イツハク・ラビンに敗北。ラビン内閣では、国防大臣に就任。ヨム・キプール戦争後(1973)の国防軍の再建、「アンテベ作戦」などに携わる。

第一次ラビン内閣では、ペレスとラビンは占領地のあり方について意見が一致せず、2人の関係は緊迫していた。1979年に出版された本の中で、ラビンはペレスのことを「裏工作員」と呼んだ。


1977年、米国大使時代の妻の銀行口座が問題になり、ラビンは党首を辞任。これにより、ペレスは満場一致で党首になり、選挙に出馬する。しかし、選挙ではベギン率いるリクード党に敗北。労働党が政権を譲るのはこのときが初めて。

野党党首としてペレスは、ベギン内閣のイラク原子炉爆破などを批判したが、キャンプ・デービッド合意とエジプトとの平和条約調印は支持した。

1981年に行われた選挙では、ペレスは党内選挙でラビン相手に圧勝。同年の選挙は、アシュケナズィーム(ヨーロッパ系ユダヤ人)とミズラヒーム(主に北アフリカや中東出身)の社会的格差が焦点となった。

この選挙ではミズラヒームの支持を得たリクード党が勝利。ペレスはまたもベギンに敗北した。

首相としてのペレスについては、また次回…


<<<シモン・ペレス・1

投稿者 moshe : 2005年11月11日 21:57

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