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2005年11月10日

労働党党内選挙、アミール・ペレツが逆転勝利

2005年11月10日07:00 FM95 のニュース

労働党党内選挙で大逆転劇。アミール・ペレツがシモン・ペレスを党首の座からおろした。アミール・ペレツは票の42.35%を勝ち取り、シモン・ペレスは39.96%、ビンヤミン・エリエゼルは17%の票を得た。

エイタン・カベル労働党書記長は、ペレスの要請により、全国で13の投票所で検査が行われ、不正が無かったことが判明すると、ペレス陣営は敗北を認めた。ペレスは労働党党員に団結しアミール・ペレツを支持するよう呼びかけた。

ペレツ新議長は支持者に、党を分断するような事は避けるよう呼びかけ、「我々は皆同じ前線で戦っている」と述べた。彼は、シモン・ペレスに、党運営関与に参加するよう呼びかけ、「私はあなたが必要だ」と発言。「党と国民の為に本人を支持するよう」要求した。

他の党員には、自分を中心に団結するよう呼びかけ、「ひとつになった労働党なら、次期選挙で議席を増やすことが出来る」と述べた。また、「何百人の国民が希望の朝に起きた。これは“出身地別差別”の神話が葬られた瞬間だ」と発言した。


新議長は労働党の内閣離脱に力を入れることを宣言。選挙で最下位だったビンヤミン・ベンエリエゼルは新議長の当選を賞賛したが、ペレスはまだ祝福の電話していない。

【解説】

新聞の選挙予想などはペレスの勝利を予想していたが、ペレツの逆転となった。ペレツはシャロン内閣には入らないと宣言していたので、労働党は内閣から出る可能性が高くなった。

そうなると、シャロンは代わりの内閣を作らなくてはならなくなる。それが無理なら
早めの総選挙となる。

82歳のペレスにとっては、これが最後のチャンスだった。さすがにもう選挙に出馬する事は無いと思う。ペレスはいつも選挙前の予想では有利だが、選挙になると負ける為、「LOSER」の異名を持っている。

圧倒的有利といわれた1996年の選挙にもネタニヤフに敗北。初めて労働党が政権を失ったのも、ペレスが党首として出馬したとき。唯一首相となったのは、シャミールと引き分けたときと、ラビン首相(当時)が暗殺された後、代理として首相となったとき。

【アミール・ペレツ】
Peretz
ひげがトレードマークの労働組合の元委員長。今日から労働党党首。

―――

1952年、モロッコに生まれ、56年にイスラエルに家族とともに移住。始めはメバセレット・ツィヨンに住むが、その後スデロット。に移る。

1983年、スデロット。の市長選挙で当選。スデロット市長として町の教育に力を入れる。

1988年には、労働党党員として国会入り。党内のハト派として知られていた。

93年には、労働組合の議長選に出馬するが落選。翌年、ハイム・ラモンと共に出馬し、ラモンは委員長に就任する。

95年、ラモンの辞任を受け、労働組合委員長に就任。それから今まで、委員長の座にいる。97年には、政党「アム・エハッド」を結成し、99年には2席、2003年には3席取得する。その後、アム・エハッドは労働党に吸収される。

2005年11月、労働党党内選挙で当選。労働党党首となる。

投稿者 moshe : 2005年11月10日 23:14

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