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2005年11月23日

総選挙日程3月28日に決定。

2005年11月23日07:00 FM95 のニュース

総選挙の日程は3月28日に決定したが、国会は大統領権限で解散するか、国会解散決議案によって解散するかまだ決まっていない。国会の憲法委員会は今日の会議で、ミハエル・エイタンによって提出された大統領との妥協案を許可する。内閣法務顧問は、妥協案を賞賛した。

妥協案によると、国会は大統領職権ではなく、解散決議案によって解散する。可決された場合、国会解散決議案は12月18日に適用される。それまで首相は、国会の承認を得ず閣僚任命を可能にする、辞令発行を大統領に要請できる。

大統領はまだ、妥協案を承認していなく、今朝側近らと相談を続ける。今のところ大統領は、全員に受け入れられる形の大統領辞令によって、国会を解散すべきだと考えている。大統領は「この場合首相は、臨時内閣の閣僚任命が可能になり、正常な国家運営を行うことが出来る」と述べた。↓

労働党のハイム・ラモン大臣は今朝の記者会見で、労働党からの離党とシャロン新党への参加を正式に発表する。シャロン新党の名前は、国民にとって最も覚えやすいだろうという理由から、「国家責任党」(アハラユット・レウミット)に決定する模様。

シャロン新党ははじめ、リクード党労働党シヌイ党の20人の議員から結成され、今後国会外からの人員を加入する。新党選挙陣営の議長にはアビグドール・イツハキー氏が任命。選挙運動は、レウベン・アドラー氏と、シャロン戦略顧問のエイヤル・アラッドとリオール・ホレブの3人が主導する。[…]

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国民から「最も汚職まみれの大臣」と見られているのは、ツァヒ・ハネグビー大臣。これは、スデロットで行われた社会問題についての集会で判明した。ハネグビー大臣の次はイスラエル・カツ大臣、リモール・リブナット大臣、エフード・オルメルト大臣アリエル・シャロン首相となっている。

議員の中では、1位がシャロン首相の息子、オムリー・シャロン議員。続いて、シュロモ・ベニズリー議員、ビンヤミン・ネタニヤフ議員、ロニー・バロン議員となっている。

逆に、世論調査で「最も潔白な大臣」と見られているのは、イツハク・ヘルツォグ大臣。続いて、ツィーピー・リブニー大臣シモン・ペレス大臣シャウル・モファズ大臣スィルバン・シャローム大臣となっている。

議員の中では1位が、ヨセフ・ラピッド議員。続いて、アビグドール・リーベルマン議員、アブラハム・ポラズ議員労働党党首のアミール・ペレツ議員となっている。

【解説】

選挙の日程が3月28日に決定。国会解散案によって国会が解散し、リクード党所属の閣僚が辞任すると、内閣には5人ほどの大臣しか残らない。大臣任命には国会の承認が必要となるのでそれも難しい。

大統領の職権で内閣を解散させた場合、臨時内閣となり、国会の承認なしに大事を任命できる。大統領による解散への賛成派は「国の正常な運営を保つ為」と言い、反対派は「民主主義的ではない」と反論している。


新党の名前は「国家責任党」(アハラユット・レウミット)のままいくようだ。「聞きやすい」というが、ちょっといまいちの気がする。

追記:
と思ったら、8時のニュースで、政党名は「カディーマ党になる」との最終発表があった。

【ハイム・ラモン・1】

元労働組合委員長。国会議員。

―――

1950年、ヤッフォで生まれる。テルアビブ大学で法律を学ぶ。1983年、第10代内閣労働党から国会入り。第13代内閣では、厚生大臣に任命。


1994年、労働党議員らを「海から陸へ上がり自殺しようとする鯨だ」として批判。この後、労働組合の選挙に出馬する。

労働組合委員長就任時、労働組合と健康保険基金は数十億シェケルの赤字で、崩壊寸前だった。健康保険基金の労働組合からの切り離し、労働組合の一部の民営化などにより、赤字を減らすが、崩壊危機は数年続く。

厚生保険が得られなかった数百人に保険を与えた、厚生保険法の推進に力を入れる。ラモンは、この法律が出来る前、保険に入っていても、全体の60%しか保険に含まれていなかったことを強調している。しかし、この法律により、医者に行くたびにいくらか払わなければいけなくなった。

国会復帰後のラモンについては、また次回…

投稿者 moshe : 2005年11月23日 16:52

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