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2004年09月14日

自己紹介

1985年生まれ(母・日本人、父・イスラエル人)。
東京で育ち、小学校4年生まで日本の小学校で学ぶ。

1995年12月、10才の時家族と共にイスラエルに移住。
小学校5、6年、中、高校とイスラエルの現地の学校で学ぶ。
テルアビブ大学付属高校卒業。現在、テルアビブ大学政治学部在学中。


イスラエルに来たのは、日本の外に出て、色々な体験をしてみる事。また、フェアな立場でイスラエル・日本どちらの国籍をとるかを自分で決められるように、イスラエルのことも知っておく必要があるという母の選択でした。

1995年12月8日から、イスラエルの生活が始まりました。1年中暑いイスラエルでも、さすが少し寒い時期でした。当時の国内情勢は、故ラビン元首相が暗殺されて1ヶ月ほどしか経ってなく、平和路線が絶たれる心配もありましたが、その時はまだ「このまま行けば、きっと平和が来る」と信じていた人達も結構いました。しかし、そううまくいく事もなく、あれから9年、状況は良くなったり悪くなったりの繰り返しです。

まあ、その頃は、まだ子供だったので、イスラエルがどんな国かさえも知りませんでした。ですので、イスラエルが、そんな問題を抱えている国だなんて事は全く分かりませんでした。

イスラエルに移民する人は通常、まずウルパンと呼ばれるヘブライ語を習う学校に行くのですが、僕ら兄弟はヘブライ語を全く知らないまま、すぐにイスラエルの学校に行くことになりました。理解できる言葉は、日本語だけでした。

全くヘブライ語を知らない僕らにとって、宇宙人のクラスに行っているような感じでした。毎日毎日、訳の分からない学校へ行き、何を言っているのか分からない授業に出て、友達ともジェスチャーだけの会話というのは、まさに眠気との戦いでした。いつも寝ないように頑張っていた訳です。

しばらくして、小学校が僕らだけにヘブライ語の特別授業枠を作ってくれたこともあり、ヘブライ語が理解できるまでそんなに時間はかかりませんでした。

イスラエルの人たちは大体英語も話せるのですが、僕らは英語も全く知らなかったし、家では日本語なので、ヘブライ語を覚えるよりイスラエルで生活する術はありませんでした。

これは、「泳げない人間でも水の中に投げ込まれれば、必死で泳ぎ方を覚えるという法則」ですね。

その後無事、小学校を卒業し中学に進学したのですが、この中学ではあまり良い思い出はありません。学校の子供達はあまり感じのいい子達ではありませんでした。その学校の生徒達は、純・イスラエル人達以外には冷たかったですね。僕の他にも旧ソ連から移民してきた子達が5人ほどいましたけど、皆同じ境遇でした。あそこまでするかなと言うほどでしたねぇ・・・

そんなこともあって、イスラエルではほとんどの中学校が高校とつながっているにもかかわらず、高校は他の学校に移りました。
この2つの学校の大きな違いがありました。新しい高校の生徒は、「学校は勉強するために行く」と、いう自覚を持っていました。

生徒の60%が旧ソ連からの移民と言うこともあって、あまり前の中学のような問題は起きませんでしたね。

この学校では勉強のレベルも他の生徒達のレベルも結構高かったです。特に、理数系は。周りも皆、やっぱりすごく感じのいい仲間が集まり、ちゃんと話し合える子供達が多かったです。イスラエルにいる間、高校の時が一番周囲に溶け込めた生活でした。


この高校の時、友達に見せたイラストがクラスで大反響を受け、先生を描いた漫画などは、クラスのホームページにも乗っていました(もう多分つぶれたけど)。
学校の卒業の時、卒業文集のイラストを任されたのですが、どういう訳か最後の土壇場で全部変わってしまい、結局何もイラストは乗っていないし、デザインも最悪の卒業文集になっていました。

そこで4年かけて自分で集めた、先生が言った面白い言葉や、自分が描いたイラストなどを乗せて、自分で新しく卒業文集を発行し、卒業パーティーで皆に配ったらとても喜ばれました。

それから、もう1つ高校であったのはボランティアです。イスラエルの学校は、高校でボランティアを行います。例えば、市の図書館で働いたり、老人ホームでコンピュータを教えたり、小学校で勉強のあまり出来ない子達に教えたりと色々ありますが、勿論それは全部無報酬で行われます。
僕の場合は、小学校の子供に算数を教えていました。

イスラエルでは、高校を卒業すると、男は3年、女は2年半、軍隊に行く義務があります。
僕は、日本国籍を選ぶ事にしたので、軍隊行きは免除されました…



ヘブライ語が日常語になりましたが、英語、日本語も自分なりに維持しています。

このサイトは、日本語のブラシアップと翻訳の勉強をするために始めました。

日本語の言い回しなど、お気づきの点がありましたら、どうぞご指摘ください。

読者の皆さんのご興味、ご希望などがありましたらご連絡下さい。

イスラエル国内の生の様子をお伝えし、読者の皆さんのお役に立てれば嬉しい限りです。

投稿者 moshe : 02:40 | コメント (7) | トラックバック(0)